フランス ヨーロッパ 世界遺産の紹介

海に浮かぶ西洋の驚異!モン-サン-ミシェルとその湾とその湾(フランス)

投稿日:2016年7月2日 更新日:

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モン-サン-ミシェルとその湾の概要

モン・サン=ミシェルは、フランス西海岸、サン・マロ湾上1キロほど沖

に突き出た岩山、及びその上にそびえる修道院。

海に浮かぶ岩山で、フランスでもっとも有名なカトリックの巡礼地で

一年で平均250万人の観光客が世界中から訪れます。

堤防からラヴァンセ門をくぐり進むと、みやげ物店、名物のオムレツを供するレストラン、

ホテルなどが軒をつらねる参道グランド・リューが修道院までのび、

シーズン中数多くの観光客でにぎわい、その様子はまるで中世の街並みのよう。

「西洋の驚異」と称され、1979年には「モン・サン=ミシェルとその湾」として

ユネスコの世界遺産に登録され、1994年10月にはラムサール条約登録地となった。

モン-サン-ミシェル修道院では、さまざまな建築様式を見ることができます。

もともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地であった。

世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部としても登録されています。

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モン-サン-ミシェルと日本の厳島神社は友好都市!

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廿日市とモンサンミッシェル、日本と繋がっているだなんて嬉しいですよね。

潮の満ち引きを利用した神社を持つ共通点があるという事で、

2009年に2つの世界遺産として友好都市の締結を行っています。

モン-サン-ミシェルとその湾は潮の満ち引きで姿を変える

モンサンミシェルがあるサン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所。

潮の満ち引きの差はなんと15メートル以上ある。

このため、修道院が築かれた岩でできたモンサンミシェルはかつては満ち潮の時には

海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた(トンボロ現象)。

モン-サン-ミシェルに行くのは命がけだった?!

島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり、満潮時には浜に降りないようにと記されている。

最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の28-36時間後といわれており、

引き潮により沖合い18kmまで引いた潮が、猛烈な速度で押し寄せる。

このためかつては多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたといい、

「モン・サン=ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えがあった。

海が「馬が駆けてくるような」速度でモン・サン・ミッシェルまで押し寄せる光景は

今では見ることがほとんどない。

モン-サン-ミシェルは戦争時は要塞だった

百年戦争の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をしていた。

干満の差と潮流の激しさが敵の侵入を阻止し、戦火に見舞われることはありませんでした。

満潮時に舟が近づいても、干潮になれば、広大な砂州の中に敵は取り残されるのです。

モン・サン=ミシェルの入り口には今も

イギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っている。

モン-サン-ミシェルは監獄だったこともある

18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され、1863年まで国の監獄として使用され、

その後荒廃していたが、ナポレオン3世により1865年に再び修道院として復元され、

ミサが行われるようになった。

監獄だった時は「海のバスティーユ」と恐れられました。

モン-サン-ミシェルにある絶品オムレツ

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モンサンミシェルはオムレツ発祥の地でもあります。

島の入り口を入ってすぐのところには、連日行列ができるレストラン

「ラ・メール・プラール」が店を構えています。

行列の客のお目当ては名物のオムレツ。

ほかにも多くのおみやげ店や湾に面したカフェで過ごすこともできます。

モン-サン-ミシェルに安全に行けるようになったが

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1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。

しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまった。

急速な陸地化が島の周囲で進行しており、かつての姿を取り戻すべく

2009年には地続きの道路が取り壊され、2014年に新たな橋が完成した。

ちなみに一時期は鉄道も走っていたこともある。

モンサンミッシェルの内にあるホテル

日帰りは厳しいので、モンサンミッシェルに行く時にはホテル宿泊が一番。

モンサンミッシェルのホテルは、砦の中に5つ、砦の外に3つあります。

クラシックな客室から湾、修道院などを見ることができる島内のLA MERE POULARD(メールプラール)。

海に面しており対岸を見渡すことができる島内のTERRASSES POULARD(テラス プラール)

などなど。

モンサンミッシェルが出来たいきさつは伝説?

伝説によれば、アヴランシェの司教であったオベールの夢に、大天使ミカエルが現れたのは708年。

ミカエルは「かの岩山に聖堂を建てよ」と命じました。

それでもオベールは信じず、行動に移しませんでした。

3度目に現れた時、ミカエルは彼の額に触れ、さらに強く命じました。

その感触でやっと天使の存在を信じた司教は、小聖堂を建てました。

すると、陸続きだったモンサンミシェルが一夜にして海に沈み、孤島になったと言われています。

モン-サン-ミシェルの前哨門

100年戦争の名残を留める堅固な城壁を仰ぎ見て、

唯一の入り口「前哨門」をくぐる。

モン-サン-ミシェルの王の門

前哨門をくぐり抜けた後、「王の門」を抜けます。

門の周辺は城塞だった時代の面影が残る一角です。

モンサンミシェル大通り(グランド・リュ)

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王の門を過ぎると修道院までの大通り、グランド・リュが現れます。

大通りとは言いますが、曲がりくねった細い道です。

両側には19世紀前半以降に建てられた土産物屋やホテル、レストランが並びます。

そもそも、この町の原形が造られたのは、巡礼の最盛期12~13世紀でした。

この道を修道士に先導された巡礼者たちの隊列が聖歌を歌いながら歩きました。

モン-サン-ミシェルの修道院

道の勾配がきつくなると、修道院の入り口はすぐそこです。

しかし、聖堂へは衛兵室を通り、修道院内にある大階段を上らなければ入れません。

1374~1400年に築かれた90段の階段は、高い壁に囲まれ、

頭上には侵入者を狙い撃ちするための橋がかかっています。

モン-サン-ミシェルのガブリエルの塔

ガブリエルの塔は、城壁の一部となり海に突き出しているような形です。

モンサンミッシェルが要塞であった当時は見張り塔として使われ、

防衛のための大砲が置かれていたこともあるそうです。

モン-サン-ミシェルのサント・オべールの礼拝堂

サント・オベールの礼拝堂は、モンサンミッシェルの端に15世紀に建てられた礼拝堂です。

708年にモンサンミッシェルに聖堂を創建した司教オベールを祀っており、

屋根に聖オベールの像が設置されています。

モン-サン-ミシェルとその湾のアクセス

パリ・モンパルナス駅から特急TGVでレンヌ駅へ、

駅からモン-サン-ミシェル行きバスで約1時間30分(1日2~3本)

レンヌからローカル電車に乗ってポントルソンまでアクセスして、

そこからローカルバスでモンサンミッシェルにアクセスする方法もあります。

モン-サン-ミシェルとその湾オススメのコース

シャンボール城をはじめとしたロワール地方の古城巡りや

ノルマンディー地方のドーヴィルとオンフルールなどのかわいい街と

あわせて訪れるのもおすすめです。

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