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元世界最大の銀山!石見銀山遺跡とその文化的景観の壮大な歴史に思いを馳せる(島根)

投稿日:2016年7月4日 更新日:

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石見銀山遺跡の概要

石見銀山遺跡は日本海に面する島根県大田市のほぼ中央に位置し、

1526年に九州博多の豪商神屋寿禎(かみやじゅてい)に発見され、

約400年間も採掘されてきた鉱山です。

石見銀の採掘・精錬か ら運搬・積み出しに至る鉱山開発の総体を表す

「銀鉱山跡と鉱山町」、「港と港町 」、及びこれらをつなぐ「街道」から成っています。

戦国時代後期から江戸時代前期にかけて

最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)である。

上述の最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、

当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされる。

大森銀山や江戸時代初期は佐摩銀山とも呼ばれた。

明治期以降は枯渇した銀に代わり、銅などが採鉱された。

石見銀山は2007年に世界遺産として認定された。

一般に銀山開発においては銀の精錬のため大量の薪炭用木材が必要とされたが、

石見銀山では適切な森林の管理がなされたことにより環境への負荷の少ない開発がなされ、

銀山一帯に広葉樹などを含む森林が残されている点が特に評価されている。

石見銀山遺跡の構成資産

銀鉱山跡と鉱山町

1.銀山柵内

2.代官所跡

3.矢滝城跡

4.矢筈城跡

5.石見城跡

6.大森銀山重要伝統的建造物群保存地区

7.宮ノ前地区

8.熊谷家住宅

9.羅漢寺五百羅漢

鉱山と港をつなぐ街道

10.鞆ケ浦道

11.温泉津沖泊道

銀を積み出した港と港町

12.鞆ケ浦

13.沖泊

14.温泉津重要伝統的建造物群保存地区

石見銀山遺跡の発見

石見銀山の発見について『石見銀山旧記』は鎌倉時代末期の1309年に周防の大内弘幸が

石見に来訪して銀を発見したという伝説を記しており、

この頃から露天掘りがなされていたと考えられている。

その後、大内氏が一時的に採掘を中断していた石見銀山を再発見し、

本格的に開発したのは博多の大商人。

海上から山が光るのを見た地下の銀を掘り出した。

地方領主・小笠原長隆が銀山を奪ったが、3年後に再び大内氏が奪回した。

大内氏は山吹城を構えて銀山守護の拠点とした。

銀精錬技術である灰吹法により効率的に銀を得られるようになり、全国の鉱山に伝えられ、

日本における銀産出に大きな貢献をすることになる。

灰吹法確立以前は、鞆ヶ浦・沖泊から鉱石のまま積み出され博多湊などで取引された。

灰吹法が広まることにより、酸化鉛の粉塵を吸い込んだ作業員は急性または慢性の鉛中毒を発症した。

石見銀山遺跡の銀山争奪

1537年(天文6年)、出雲の尼子経久が石見に侵攻、銀山を奪った。

2年後に大内氏が奪還したものの、その2年後に尼子氏が石見小笠原氏を使って再び銀山を占領、

大内氏と尼子氏による争奪戦が続いた。

大内氏の死後は、毛利元就が尼子氏との間で銀山争奪戦を繰り広げ、

最終的に毛利氏が勝利を収めて石見銀山を完全に手中に収めました。

石見銀山遺跡の江戸幕府による支配

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、1600年11月に石見銀山を幕府直轄領としました。

銀山開発の費用・資材を賄うため、周辺の郷村には直轄領である石見銀山領が設置された。

石見銀山遺跡の幕府による銀山開発

石見銀山領からは莫大な銀が納められるようになり、朱印船貿易の元手にもなっていました。

しかし次第に産出量が少なくなり、江戸末期には深く掘らなければ銀を産出できなくなり

地下水にも悩まされ採算がとれなくなっていきました。

1866年6月の第二次長州戦争において、石見銀山の幕府支配は終焉を迎え

以後、旧石見銀山領は長州藩によって支配されることとなります。

石見銀山遺跡の明治期以降の石見銀山と終末

石見銀山 坑道明治期以降は銅などの鉱物が主に採鉱されたていました。

太平洋戦争の最中も軍需物資として、1941年より銅の産出を石見銀山より試みました。

しかし、1943年の水害で坑道が水没する大打撃を受け、完全閉山となってしまいました。

石見銀山工夫の平均寿命は30歳?

間歩に残されているノミの跡は命を削った跡、粉塵を吸い、灯りをともす菜種油の油煙を吸い、

酸素が乏しい高湿度という環境での重労働のため、当時の鉱夫は短命であり、

30歳まで生きられた者は尾頭付きの鯛と赤飯で長寿の祝いをしたほどであった。

大森地内には若くして死んだ鉱夫たちの慰霊を目的として各宗派の寺院が多数建てられ、

鉱夫たちの家族構成はその多くが独身もしくは夫婦のみであったと伝えられている。

石見銀山遺跡は鉱山遺跡としてはアジア初の世界遺産

石見銀山では、16世紀~17世紀に大量の銀が採掘された。

特に、17世紀前半の全盛期には年間約38トンと推定され、世界の産出銀の3分の1を占めた。

世界遺産に登録されている鉱山遺跡は、欧州や中南米に15箇所あるが、

アジアにはなく、アジアで初めての登録となった。

石見銀山遺跡の間歩(まぶ)

間歩とは、鉱脈から銀を掘り出すために掘られた坑道のことです。

銀を掘った跡(間歩(まぶ))は、調査により約600カ所見つかっています。

その代表的なものが、龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)で、内部が見学できる間歩です。

しかし、見学できる部分はほんのわずかで、その奥にアリの巣のように

掘られている坑道は見ることができません。

石見銀山遺跡の龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)

龍源寺間歩は、御直山(おじきやま)五ヶ山のひとつ、江戸時代の中頃に開発された代官所直営の坑道で、

大久保間歩に次いで長く、公開されていない部分まで合わせると約600mあります。

この坑道は1718年(江戸中期)に開発がはじまり、228年もの長い歳月をかけて開かれ、

1943年(昭和初期)に閉山されました。

そのうち一般に公開されているのは273m(新坑道含む)で、通り抜け可能。

坑道の壁には当時のノミの跡や排水用に掘られた竪坑などがそのまま残されています。

石見銀山には600以上の間部があります。

アクセス:JR大田市駅よりバスで28分、大森下車、徒歩40分

石見銀山の採掘方法

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「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道の中は、闇の世界です。

明かりはサザエの殻などに油を入れ、そこに火をともしたものを使いました。

1858の記録では、39人が昼夜二交代制で銀を掘り出していました。

「銀掘(かねほり)」と呼ばれるタガネで掘る者が24人、

「手子(てご)」と呼ばれる掘る手伝いをする10才前後の子どもが10人、

不要な石を運び出す者が5人いたと記述されています。

地下深く掘り進むと、地下を掘り進むとどうしても水が湧き出てきます。

これをくみ出すのも人力で、木製のポンプのようなものを使いました。

農家で使われる、穀物の殻を吹き飛ばすための農具を改良し、

送風機として奥まで空気が送れるようにと使われていました。

柄山負(がらやまおい)と呼ばれる石を運び出す仕事は、

集めた石を背負い、狭い坑道から運び出す仕事で大変なものだったといいます。

石見銀山遺跡の佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)

鉱山の守り神の金山彦命(かなやまひこのみこと)を祀っている佐毘売山神社は、

周防の戦国武将として勢力を誇った大内氏が、

1434年頃に室町幕府将軍の命令で建立された神社です。

その当時、鉱山を自分の領土として所有していた大内氏や戦国大名達が崇め敬い、保護されていました。

現在、佐毘売山神社は石見銀山で一番大きい神社になってます。

そして、この地に暮らす人々の心のより所となっていました。

石段は100段あり、境内はとても広く、大きな社殿はどっしりと構えています。

神社の周りには昔の住居跡が棚田のようになって石垣として、その姿を残しています。

地元では「山神宮」「山神さん」と親しみを込めて呼ばれていているそうです。

自然に囲まれた、趣のある様子を眺めていると、

不思議と心も洗われていくような気分になっていくと評判です。

龍源寺間歩出口から約200mほどのところにあります。

急勾配の石段を上って、境内にたどり着きます。

アクセス:大森停留所より徒歩30分

石見銀山遺跡の石銀(いしがね)

標高537mの仙ノ山の頂上付近に石銀地区があります。

戦国時代から江戸時代に渡って銀が掘り出されたり、製錬がとても盛んに行われていました。

当時、この地区が産業都市として栄えたことがうかがえます。

坑道や採鉱の跡、平坦地には精錬所や住居の跡と思われるものや石垣があり、

人々が住んでいたということで、池や井戸、キセルなどの生活用品

なども見つけることができます。

石見銀山遺跡の山吹城跡

戦国時代に、銀山争って奪い合ったできた拠点とされたのが山吹城です。

標高414mの要害山の頂上に、1533年頃に築かれた山吹城は長い間、

銀山の奪い合いで争いが繰り広げられていました。

1562年に毛利氏が攻め落とすまでの30年もその争いは続きました。

現在、山吹城の麓には番所や奉行所の跡があります。

石見銀山遺跡の露頭掘り跡(ろとうぼりあと)

露頭掘りとは坑道を地下に掘り進んで行くのではなく、

土地の表面に出た銀鉱石を削る採掘の方法のことです。

仙ノ山の頂上付近に露頭掘りの跡が広くあります。

石見銀山遺跡の矢滝城跡

銀山柵内から南西 2.5km の場所にあり、標高638m の山頂部を利用した16世紀の山城跡が矢滝城跡です。

北側には石見銀山街道温泉津沖泊道が通る降路坂、さらに進むと矢筈城があり、

石見銀山を防備するための要衝を押さえています。

1528年には戦国大名大内氏が拠点とし、3年後の1531年には当地域の領主小笠原氏が、

これを奪い銀山を支配したとの記録があります。

矢滝城跡の北側には、石見銀山から温泉津港までの銀山街道があります。

この銀山街道をはさむ形で築かれた矢滝城と矢筈城が一対となって

銀山防衛と交通路掌握の機能をなしていたそうです。

山頂部の北側には、城の一つの区画である曲輪群には、枡形の出入り口や、

敵の侵入を防ぐための竪堀や堀切などが残っています。

アクセス:大田市駅より車で4分

石見銀山遺跡の矢筈城跡

矢筈城(やはずじょう)跡の南には、石見銀山から温泉津港に至る

銀山街道(温泉津・沖泊:おきどまり)があります。

更にその南側には矢滝城(やたきじょう)跡もあります。

銀山街道をはさむ形で築かれた、矢筈城と矢滝城が一対となって銀山防衛と、

交通路掌握の機能を担っていたという歴史があります。

ここは、山を眺められる絶景ポイントです。

戦国時代に美作国と因幡国にかけて勢力を有した草刈氏が築いたとされる矢筈城は、

高山城ともよばれていて、 岡山県内では最大級の山城です。

標高756メートルの山上に設けられた主郭は全国屈指の高さで、

険しい山上に位置する要害城として知られています。

アクセス: 知和駅より徒歩約10分、登山口入り口より登山

石見銀山遺跡の石見城跡

石見城(いわみじょう)は、銀山から日本海に至る街道沿いにあり、

仁摩方面の街道を守り、銀山を押さえる拠点となっていました。

城は竜嵓山(りゅうがんざん)の頂上に築かれ、城手前は奇岩そびえる絶壁の天然要害になっています。

また、その壁を這い上がるように生えているノウゼンカズラは、秋に美しい紅葉を見せてくれます。

仁摩町の天然記念物に指定されています。

ノウゼンカズラは、茎から気根を出して固着し、壁や樹木を這い上がる中国原産の蔓性植物です。

幹はかなり太くなり、花は夏から秋に黄橙から黄赤の可愛く、

先で5片に裂けたラッパ形をしている咲かせます。

アクセス: 大朝ICから車で

石見銀山遺跡の清水谷製錬所跡

清水谷製錬所跡は、大阪の藤田組によって明治時代に作られた近代的な製錬所です。

採れた鉱石の質では採算が取れず明治28年からわずか1年半で操業停止になりました。

鉱石の質の悪さもさることながら、銀の製錬技術も低かったことから

経営が上手くいかなかったのだそう。

谷の斜面を利用した八段の石垣は、高さが33mもあります。

今は草木に覆われた遺跡となっており、独特の雰囲気を持った場所です。

現地で見ると、圧倒される勢いを感じられますよ!

その後、新たに永久製錬所を創設して銅生産を中心に操業を続けていました。

アクセス:大田市駅から石見交通大森行きバスで28分、大森停留所より徒歩25分

石見銀山遺跡の大久保石見守墓所

大久保石見守墓所は、初代の銀山奉行となった大久保石見守長安の墓です。

大久保石見守長安は経営者としての才能があり、

江戸時代初期のシルバーラッシュをもたらしました。

大久保石見守長安の死後、陰謀によって残された子供たちや腹心が処刑されてしまいました。

死後に起きた陰謀は「大久保長安事件」と言われています。

アクセス: 大森停留所から徒歩10分

石見銀山遺跡の下河原吹屋跡

下河原吹屋跡は、発掘調査の結果発見された、江戸時代初期の銀精練遺跡です。

奥に見える展望台から遺跡を見ることができます。

手前のパネルには、遺跡の説明が書かれていますので読んでみてください。

日本に初めて伝えられた「灰吹き法」と呼ばれる方法で銀を精練していました。

一見何もないように見えますが、石見銀山が最も栄えた時期を伝える、

歴史的価値のある遺跡。ぜひ訪れてみてください。

灰吹き法とは

「灰吹き法」は朝鮮から伝わったという金銀の精錬技術で、

金銀の鉱石を一度鉛に溶け込ませて、再び純度の高い銀を取り出す

するという方法なのだそう。

朝鮮半島から持ち帰った神谷寿亭が導入しました。

この技術が島根で導入され、その後全国各地に広まり

精錬技術が飛躍的に発展したと言われています。

アクセス: 大森停留所から徒歩10分

石見銀山遺跡の金生抗(きんせいこう)

金生抗には、800mにおよぶトロッコの軌道跡が残っています。

坑内は残念ながら非公開になっていますが、近くまでいくと

当時の様子を垣間見れるような雰囲気があります。

人の手で山間の場所にトロッコ道を作ったことに驚きます。

こちらの坑道は江戸時代に掘られたもので、明治時代には蔵之丞坑とも繋がれたそうで、

排水や鉱石の搬出に使用されていたと言われています。

アクセス:大森停留所より徒歩10分

石見銀山遺跡の銀山柵内

銀を求めてポルトガル人が日本に進出し、銀と交換にポルトガル人がもたらした鉄砲と

火薬が天下統一への歩みを進めたことから、17世紀、

天下を統一した徳川家康は直ちに石見銀山を幕府の直轄領とし柵で囲ったと言われています。

銀山柵内は「石見銀山遺跡とその文化的景観」を構成する一部として世界遺産に登録にされています。

ここで銀鉱石の採掘・選鉱・製錬・精錬が一貫して行われていました。

ちなみに、徳川幕府が巡らした柵はなんと8kmにも及ぶのだそう。

アクセス: 大森停留所より徒歩10分

石見銀山遺跡の釜屋間歩

大久保間歩から少し山を登ったところに、大久保長安の部下である安原伝兵衛が

夢のお告げで発見したと伝えられる釜屋間歩があります。

伝兵衛は約13.5tの銀を徳川家康に献上し、その功績により家康から紋服を授けられたと記されています。

岩盤を削って作られた石段をみると、当時の人の生命力、体力の凄さを感じることができます。

この間歩の発見が減少傾向にあった石見銀山の採掘量をV字回復させたと言われています。

伝兵衛はこの功績により徳川家康へのお目見えが許され、その際に山積みの銀を献上したところ、

家康が非常に感激し「備中」の名と家康着用の羽織を送ったのだそう。

アクセス: 大森停留所より徒歩10分

石見銀山遺跡の福神山間歩

この福神山間歩には、坑口が3か所あります。

上段の坑は空気抜き坑、下段の2坑は中でつながり、説明板のある道路の下2mほどのところを通って

銀山川の下をくぐり、後ろにそびえる銀山の最高地点「仙ノ山」の方向に掘り進んだと伝えられています。

「仙ノ山」の逆方向に向かって坑口が開いている珍しい間歩です。

発見から1767年頃までは山師個人が経営する「自分山」でしたが、

一時期は代官所直営の間歩となっていたようです。

アクセス: 大森停留所より徒歩10分

石見銀山遺跡の高橋家

高橋家は、銀山町年寄山組頭(としよりやまぐみがしら)の遺宅で茶室を設け、

付属建物では酒造なども行なっていたという銀山屈指の建築です。

当時、山組頭は鉱山の取締役で鉱夫の人事や物資の購入などを担当していました。

当時の人たちの暮らし、そして石山銀山の歴史を庶民の立場から見ることができる場所なので、

ぜひ訪れてみてください。

島根県の文化財に指定されており、外観のみの公開となっています。

龍源寺間歩の付近にひっそりと佇む立派な建物です。

アクセス:大森停留所より徒歩10分

石見銀山遺跡の銀山遊歩道

銀山温泉街から銀鉱山に向かう湯沢川沿いの道は、渓流美を楽しめる銀山遊歩道となっています。

高さ22mの白銀の滝は水量も多く、飛沫と轟音に圧倒する様子を見ることができます。

また、不動尊や籟音の滝、茂吉歌碑、岩の間から冷風が吹き出す夏知らずなどのみどころがあります。

秋には紅葉の名所としても知られているため、たくさんの人たちが訪れてきます。

アクセス:銀山公園駐車場よりすぐ

石見銀山遺跡の発掘調査

採鉱と製錬の技術体系の解明を柱に、およそ400年に及ぶ鉱山遺跡の実態を明らかにする調査。

また、近年では遺跡の整備活用を前提とした調査としても行っています。

発掘調査によって、地下に埋もれていた鉱山の生産生活・消費流通・支配信仰などに

関わる多種多様な遺構・遺物が確認されています

石見銀山遺跡の古文書・文献調査

石見銀山はもちろんのこと、石見銀・日本銀の世界的な流通状況や、

周辺地域や他地域の鉱山との経済的社会的関係などを明らかにする調査。

海外を含め広範囲にわたる史料調査を行い、目録作成や写真撮影、

史料分析などを行い、その成果を年表や論文集にまとめたり、

データベースの作成などを行っています。

石見銀山遺跡の石見銀山資料館

現在資料館となっているこの建物は、明治35年(1902)に建てられた

1889(明治22)年に旧邇摩郡役所として建てられ、それをそのまま利用しています。

昭和51年(1976)に地元有志が石見銀山資料館として開館しました。

銀山で使われた鉱山道具生活用品や、県の文化財に推定されている銀山絵巻などが

展示されている場所で、歴史を感じることができるスポット。

石見銀山遺跡の代官所跡

江戸時代に天領となった、銀山を治める幕府の代官所があった大森代官所跡。

ここには1815(文化12)年に建てられた正門と長屋門が当時の姿をとどめており、

庭は枯山水で四季おりおりの花木の表情を見ることができます。

やはり石見銀山に来て忘れてはならないのがこのスポットでしょう。

代官所跡は国の史跡に指定されています。

枯山水には農民一揆が起こった際の隠しルートへ繋がる穴が2ヶ所あるそうです。

アクセス:JR大田市駅よりバスで26分、大森代官所跡下車、徒歩5分程度

石見銀山遺跡のツーリング

駐車場からは結構あるので歩くには少ししんどいかも。

自転車を借りれるので借りてあちこち行くととっても便利です。

石見銀山遺跡は現地ツアーがお得?

現地に着いたらガイドさんのツアーもオススメ。

もしガイドなしだったら、つらい坂道と洞窟歩きで終わってしまうかも。

ガイド料金は500円と、とてもリーズナブルでした。

石見銀山遺跡の注意点

注意点としては火曜日は定休のお店が多いこと。

トイレは少ないので行ける時に行っておくこと。

ゴミはすべて持ち帰りなので袋が必要です。

石見銀山遺跡の温泉津の港町

銀山観光の後は大森町からタクシーで約1時間の港町、

温泉津(ゆのつ)町へ向かうことをお勧めします。

銀などの輸出入の窓口として栄え、湯治場としてもこの町は名を馳せました。

大正時代や昭和初期の建築が並びノスタルジックな雰囲気を楽しめます。

町内には日本温泉協会から最高評価を受けた温泉が湧く「薬師湯」と

開湯1300年余の「元湯」という立ち寄り湯もあり、名湯の入り比べが楽しめます。

海岸線沿いには奇石景勝や夕日の絶景スポット、陶芸体験ができる「やきものの里」などもあります。

石見銀山遺跡の交通アクセス

出雲空港から出雲市駅までリムジンバスで約30分、出雲市駅からJR大田市駅まで普通列車で約40分。

大田市駅より石見交通バス(世界遺産センター方面)に乗車。

大森代官所跡バス停まで所要26分、610円。

大森バス停まで所要28分、650円。

世界遺産センターバス停まで所要33分、730円。

車:
山陰自動車道出雲ICまたは江津ICより国道9号を利用。

大田市の市街地から島根県道46号大田桜江線に入るルートと、

仁万交差点から島根県道31号仁摩邑南線に入るルートがある。

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